PL学園野球部は高校野球の強豪校で、数多くのプロ野球選手を輩出してきた名門高校ですね。
PL学園野球部は廃部されていましたが、最近になって復活の兆しが見えてきているようです。
今回は、PL学園野球部がなくなった理由などについて調べてみました。
PL学園野球部とは?どんな特徴の部だった?
PL学園は1955年設立の学校で大阪府富田林市にあり、学校法人PL学園が運営しています。かつては全寮制でしたが、現在は通学可能となっています。
PL学園野球部は1956年に創立され、甲子園出場回数は春20回、夏17回、そして、優勝は春3回、夏4回と計7度の甲子園優勝を果たしています。
甲子園での通算勝利数は96勝で歴代3位となっています。
少数精鋭の野球部を目指しており、中学時代にリトルシニアやボーイズリーグで活躍した将来性が高い選手をスカウトすることによって強豪チームを作っていくという特徴がありました。
このときは在校生からの一般入部は受け付けていなかったそうです。
PL学園野球部は厳格な上下関係があり、1年生は上級生に絶対に逆らってはいけないというようなシステムになっていたそうです。
付き人制度のようなものがあり、下級生が上級生の身の回りの世話をして、先輩による理不尽な要求や暴力などが横行していたようです。
「3年神様、2年平民、1年奴隷」というような不文律ができあがっていて、非常にいびつな構造となっていて、様々な問題を内包し、それが結果的に廃部に追い込まれるような事態を招いてしまったようです。
PL学園野球部がなくなった(廃部)理由とは?
PL学園野球部がなくなった理由としては、軍隊のような上下関係に基づく、暴力行為が世間に明らかになったというのが大きいようです。
インターネットが普及していない時代に置いては、内部で情報を統制できていました。上級生による暴行などによってけが人がでた場合でも教団の敷地内にあるPL病院で治療をすることで、表にでないようにしていたそうです。
その後、ネットが広まり、社会的な関心が高まるなかで、マスコミも報道するようになって、PL学園野球部内での多数の暴行事件などが世間に知られるようになり、バッシングも大きくなっていきました。
1986年には3年生が2年生をいじめて死亡させるという事件も起きています。これは、敷地内の人工池に3年生がスリッパを投げ入れて、2年生にとりにいくよう命令して、そのまま2年生の部員一人が池に潜り込んで亡くなってしまったという事件です。
ほかにも、1997年に上級生による暴力で、下級生が重傷を負ったという事件や、2001年には、上級生がバットで下級生を殴るということがあり、被害者家族から裁判を起こされるというようなこともありました。
その後も、PL学園野球部の暴力体質は変わらずに、2013年にも2年生4人が1年生に暴行を加えて、病院送りにするという事件がありました。
度重なる不祥事や事件によって、監督が退任し、後任の監督も見つからなかったということで、徐々に衰退していき、教団もPL学園野球部を廃部する方向にかじを切っていったようです。
そして、2015年に4月入学の野球部員の受け入れ停止をして、その後も、部員を受け入れずに、2017年に大阪府高野連に対して脱退届が提出されて、事実上の廃部ということになりました。
PL学園野球部は復活(活動再開)した?
2023年の8月に1年生一人が、PL学園野球部に入部して練習をしているという報道がありました。
この新入生は野球未経験ということで、復活の第一歩ではないかと注目されているようです。
ただ、PL学園自体が生徒数が減少していて、現在は全校生徒役50人ほどしかいないですし、学校の存続自体も危ぶむ声もあるようなので、PL学園野球部が復活するのはかなり厳しい状況となっているようです。
学部内で部員を9人以上集めないと大阪府高野連に再加盟するのも難しいようですし、PL学園野球部の復活は難しいのかもしれませんね。
昔のようにPL学園野球部が甲子園常連の強豪校になるのは無理だと思いますが、現在所属しているこの生徒が楽しく野球をできるような環境であれば、それで良いと思いますね。
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