太田賢吾は中学、高校時代どんな選手だった?甲子園の出場歴は?

太田賢吾




2018年オフに行われたトレードによって日本ハムからヤクルトに移籍することとなった高梨裕稔選手と太田賢吾選手。高梨裕稔選手は先発投手の層を厚くする目的、太田賢吾選手は内野手の底上げを図る目的で移籍となり、ファンにも衝撃が走りましたね。

 

太田賢吾選手は日本ハム時代主に控えに回り、なかなか結果を残せていませんでしたが移籍後の昨年は自己最多の90試合に出場。一番打者も務めるなど飛躍を遂げています。今回はそんな太田賢吾選手の学生時代について振り返ってみたいと思います(^-^)

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太田賢吾とはどんな選手?小学、中学時代は?

まずは太田賢吾選手のプロフィールについて簡単にまとめてみました。太田賢吾選手は埼玉県川越市出身で、1997年1月19日生まれの現在23歳です。身長186cm体重74kgの大柄かつ細身の選手で、日本ハム時代はケリーというあだ名で呼ばれていたそうです♪

 

太田賢吾選手の特徴はセカンド、サード、ショートを守れるユーティリティさと、50m6秒1を記録する俊足遠投110mを記録する強肩ですね。学生時代から守備には定評があり、脚力と広角に打ち分ける打撃力も合わせて走攻守三拍子揃った内野手と評されていました。

太田賢吾

昨年は内野の全守備位置を守り、好不調の差はあったものの一時は一番打者も務め低迷するチームを攻守ともに支える大きな存在へと成長しています。昨年慣れない環境の中で戦った経験を生かし、今年は更なる飛躍を遂げて欲しいですね♪

 

そんな太田賢吾選手が野球を始めたのは小学二年生の時で、南古谷レーダースというチームに所属していたそうです。きっかけは一歳上のお兄さんの影響だそうですよ^^

 

その後太田賢吾選手は川越東中学校に進学し、所沢中央シニアというチームに所属しています。特に目立った成績は残しておらず情報がありませんでしたが、所沢中央シニアではお兄さんとも一緒にプレーしており、太田賢吾選手は遊撃手を任されていたそうです(^-^)

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太田賢吾は高校時代どんな選手だった?甲子園出場歴はある?

中学卒業後、太田賢吾選手は埼玉県川越市に所在する川越工業高校に進学しています。一年生のうちから早くもベンチ入りを果たし、秋には遊撃手のレギュラーを掴み三番打者を務めるなど一年生の段階で攻守ともにチームの戦力となっていたそうです♪

 

一年生で上位打線を任されるのも驚きですが、太田賢吾選手は投手としても高校通算で2試合に登板しているそうです。成績については情報がありませんでしたが、そこで結果を残していたらもしかしたら投手としてプロを目指すこともあったかもしれませんね!

 

その後二年春の県大会では3回戦で3点本塁打を放ち、6-2でシード校の聖望学園に勝利。試合に敗れた準々決勝でも2安打を放つなど持ち前の打撃力を存分に見せつけ川越工業高校としては23年ぶりの県大会ベスト8入りに大きく貢献しています^^

 

二年夏の県大会では初戦で敗退し、秋の県大会も早い段階で敗退となり悔しい結果に終わっています。埼玉県内も浦和学院高校や花咲徳栄高校など強豪校が多いため、県大会といっても予選を勝ち上がるのは簡単な話では無いかもしれませんね^^;

 

冬場に行った打撃強化によりスイングスピードを増した太田賢吾選手は三年春の県大会でも躍動し、3回戦で満塁で走者一掃三塁打を打ち勝利に貢献しています。敗れた準々決勝でも先制打を放つなど勝負強さも見せ、二年連続の県大会ベスト8入りを果たしています♪

 

そして三年夏の県大会でも4回戦で先制打となる2点三塁打を含む3安打3打点の活躍を見せています。三年夏の予選の通算成績で打撃.5296打点をマークしチームを17年ぶりのベスト16進出へと導きましたが、三年間で甲子園出場を果たすことは出来ませんでした

 

甲子園出場は叶わず知名度も低い太田賢吾選手でしたが、安定したミート力や柔らかいグラブ捌き、送球の安定さはプロのスカウトから注目され、2014年のドラフト会議にて日本ハムから八位指名を受け高卒でプロ入りを果たしました♪

 

ヤクルトに移籍したことにより、ついに内野のレギュラーを掴み大きな成長を遂げた太田賢吾選手。チーム事情により守備位置が固定されないことも多いかもしれませんが、今年も様々な起用に応え将来はヤクルトを代表する大型内野手として成長してほしいですね(^-^)





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