近年故障者や不振にあえぐ投手陣が多い中、勝ちパターンのリリーフだけでなく、点差がついた状況のロングリリーフや緊急登板的に先発も務めヤクルトの投手陣を支えている大下佑馬選手。昨年も主にロングリリーフとして31試合に登板しています。
2018年シーズンよりは登板試合数は増えたものの不振に陥り、成績は2敗2ホールド防御率5.18という悔しい結果となり今年は勝負の一年となっています。今回はそんな大下佑馬選手の学生時代やその後の進路について振り返ってみたいと思います(^-^)
大下佑馬とはどんな選手?小学、中学時代は?
まずは大下佑馬選手のプロフィールについて簡単にまとめてみました。大下佑馬選手は広島県広島市南区出身で、1992年7月6日生まれの現在27歳です。
大下佑馬選手の特徴は、最速151kmのシュート回転して内角を突く直球と、130km台のカットボールや縦回転の緩いカーブですね。他にもフォークやスライダーを持っており変化球も多彩ですが、基本は直球とスライダー、フォークで攻めていくスタイルのようです。
癖の少ないフォームで完成度の高い投手ですが、昨年はフォームが定まらなかったことも相まって調子を落とし、被打率.302と高めの数値となっています。今年はしっかりフォームを定めて、本来の実力を存分に発揮して欲しいですね♪
そんな大下佑馬選手が野球を始めたのは小学生の時で、段原レッドイーグルスというチームに所属していたそうです。ちなみに現在ヤクルト一軍監督の高津臣吾監督もかつて同じチームに所属しており、小学生の時に野球教室でサインボールを貰ったそうですよ^^
その後大下佑馬選手は広島市立段原中学校に進学し、軟式野球部に所属しています。目立った成績は残しておらずポジション等も情報がありませんでしたが、当時現役選手だった高津臣吾監督に憧れて投手としてプレーしていた可能性が高そうです(^-^)
大下佑馬は高校時代どんな選手だった?
中学卒業後、大下佑馬選手は広島市西区に所在する崇徳高校に進学しています。一年生のうちから早くも控え投手としてベンチ入りし、二年春にはエースに任命されています♪
二年秋の県大会ではエースとしてチームを引っ張り県大会3位入賞を果たすと、続く中国大会の初戦では9回途中3失点と好投し勝利を収めています。ちなみに初戦時はインフルエンザで部員14人が出場できないという緊急事態に陥ったそうです^^;
準々決勝でも先発投手を務め、5回まで2安打1失点と好投しましたが、その後を任されたリリーフ投手が炎上し再びマウンドに上がっています。結果2-9で敗戦となりましたが、中国大会ベスト8入りという成績は充分立派な成績だと思います(^-^)
その後三年夏の県大会では調子を崩し、準々決勝で広陵高校相手に5-12と大敗。最後の大会はベスト8に終わり三年間で甲子園出場を果たすことは出来ませんでしたが、当時から最速145kmの本格派右腕投手としてプロからも注目を集める存在だったそうです。
大下佑馬の高校卒業後の進路は?
高校卒業後は亜細亜大学に進学し、一年秋からリーグ戦に出場しています。当初は目立った成績を残せず、3年間通算で4試合をリリーフ登板と登板機会は少なかったそうです。
四年生時に登板機会は増えたものの、大学通算で10試合登板、1勝1敗という成績に終わりプロ入りとはなりませんでしたが、同期の薮田和樹選手や山崎康晃選手が大卒でプロ入りを果たしたことにより刺激を受けたそうです。当時は悔しい思いをしたでしょうね^^;
大学卒業後は三菱重工広島に就職し、一年目から公式戦に出場しています。大学時代は登板機会に恵まれず結果を残せていませんでしたが、社会人になると秘めた才能が開花し、都市対抗二次予選では3試合に登板。倉敷オーシャンズ戦では完封勝利を挙げています♪
そして都市対抗本戦でも2回戦で先発として登板し、6回途中1失点と好投。二大大会通算で6試合を投げ、1勝2敗、12奪三振、防御率3.38の成績を残しています。
高校、大学、社会人時代で圧倒的な成績を残したとは言えない大下佑馬選手ですが、地道な努力で実力を磨き、社会人三年目の2017年のドラフト会議でヤクルトから二位指名を受けプロ入りします。アマ時代が長かった分、指名を受けた時は嬉しかったでしょうね^^
即戦力投手として低迷するヤクルトを上位へ押し上げる存在になることを期待されている大下佑馬選手。まだ目立った成績を残せておらず焦りもあるかもしれませんが、先発やリリーフを柔軟にこなし、今年は一年を通して一軍の戦力となって欲しいですね(^-^)
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