日本ハムファイターズの4番といえば、今はまだ中田翔選手ですがその座を脅かす存在になりそうなのが大田泰示選手です。大田泰示選手も中田翔選手と4番を争う決意を口にしています。
大田泰示選手といえば、2016年に巨人から2対2のトレードでやってきました。
2008年にドラフト1位で入団した巨人では、ゴジラ松井こと松井秀喜氏の背番号”55”を受け継ぎ、後継者として注目されていました。しかし、巨人では活躍の場を広げることはできず、トレードとなってしまったのです。
このトレードにはとてもビックリしたのを覚えています。
このトレードこそ大田泰示選手にとって野球人生の一つの大きなターニングポイントとなったのです。今は、日ハムの中軸に欠かせない存在です。
では、大田泰示選手は中学、高校時代どんな選手だったのでしょうか?調べてみたいと思います♪
大田泰示は中学時代どんな選手だった?
まずは、大田泰示選手のプロフィールからチェックしてみましょう。
大田泰示選手は広島県福山市の出身で1990年6月9日生まれの29歳です!三人兄弟の末っ子だそうです。野球を始めたのは福山市立川口小学校1年生の時。大田泰示選手は父親の影響でソフトボールを始めました。遊撃と投手を務めました。
小学校5年生になると軟式野球クラブ鞆古城クラブに所属しました。
福山市立城南中学校に進学すると学校の部活ではなく、クラブチームの松永ヤンキースに所属。このチームで三塁も経験しました。中学校2年生の秋、県大会で優勝という成績を収めました。
中学校3年生の時には、現在広島カープの上本崇司選手とバッテリーを組んでいたそうです。大田泰示選手がピッチャーをしていました。大田泰示選手がピッチャーとは今では想像できませんね!
中学校時代には野球教室に参加すると現巨人監督の原辰徳監督にスイングを評価され、原監督の母校である東海大学附属相模高校に進決めたのです。
大田泰示の高校時代は?甲子園の出場歴は?
中学校を卒業し地元を離れて神奈川県にある東海大学相模高校に進学し1年生の春から三塁手としてベンチ入りをしました。その後、1年生のうちから4番にも座り主軸として活躍するようになりました。
この頃から、ホームランを打ちまくっていたのですね!!!
高校2年生の時には、主将を任されました。高校3年生の最後の夏には北神奈川大会で大会新記録となる5本のホームランを打ちました。
しかし、残念ながら高校3年間で大田泰示選手は甲子園出場の夢は叶いませんでした。その中で、高校通算65本塁打を記録しました。また、投げる方は最速147キロをマークしています。これは、期待が高まりますよね!!
高校を卒業した大田泰示のその後は?
高校時代に走攻守揃った選手であることを十分にアピールできた大田泰示選手。ドラフト会議では、ドラフト1巡目で巨人と福岡ソフトバンクホークスとが競合し巨人が指名権を獲得しました。
太田選手はプロ入り後も地元をとても大切にしています。故郷の広島県福山市では、大田泰示杯として福山市の中学生軟式野球大会を実施しています。その大会も、今年で4回目を迎えたそうです。
第1回目の開催は巨人への移籍が決まった直後で億を稼いでと公言していた大田泰示選手。今年の契約更改でついに1億円に到達しました。有言実行できるってかっこいいですよね♪
大田泰示の通算成績は?
大田泰示選手の2019年終了時点での通算成績は、579試合出場、1954打数、476安打、58本塁打、222打点、25盗塁、通算打率.264となっています。
巨人時代はチャンスをもらっても活躍できずに苦労していましたが、日ハムに来て覚醒し、2019年はキャリアハイとなる20本塁打を打つなど大活躍していますね。日ハムに来て本当によかったですね^^
巨人ファンの私としては、巨人時代に覚醒して、主力選手になってほしかったので複雑な思いもありますけど(^^;。とはいえ、大田泰示選手が活躍してイキイキしているのはうれしいですね^-^
まとめ
ここまで、大田泰示選手について調べてみました。巨人ではあまり活躍できなかった大田泰示選手ですがターニングポイントをきっちり自分のものにして、今の活躍に結びついているのではないでしょうか。苦労も多かったでしょうけど、報われてよかったですね!
将来的には、大田泰示選手が4番として日本ハムファイターズをリーグ優勝、日本一へ導いているかもしれませんね!
2019年シーズンはチームとしては本塁打も少なくて、長打力が不足していましたので、大田泰示選手には自慢のパワーでホームランを量産して、チームを浮上させていってほしいですね^-^
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