公文克彦は中学、高校時代どんな選手だった?甲子園の出場歴は?

公文克彦




日本ハムファイターズの”負けない男”を知っていますか?それは、公文克彦選手です。

 

公文克彦選手は、貴重な左の中継ぎピッチャーで初登板から昨シーズンまで174試合連続無敗のプロ野球記録を更新中です!!初登板からってすごいですよね!それだけ、プレッシャーもすごそうだな~なんて思ってしまいますよね。

 

昨シーズンは公文克彦選手自身の最多である61試合に登板しました。

 

公文克彦選手が日本記録を更新するまではジャイアンツの高木選手が記録を持っていたそうです。公文克彦選手自身も記録を伸ばせるところまで伸ばしたいと話しているそうです。これは、どこまで記録が伸ばせるか楽しみですねっ♫

 

さて、その公文克彦選手とは、いったいどんな選手なのでしょうか。さっそく調べてみたいと思います。

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公文克彦は中学時代どんな選手だった?

まずは、公文克彦選手のプロフィールからチェックしてみましょう。

 

公文克彦選手は、高知県安芸郡芸西村の出身で1992年3月4日生まれの27歳です。阪神タイガースキャンプ地の近くに住んでいたこともあり、キャンプを観に行きプロ野球選手になりたいと思ったそうです。初めてもらったサインは、藤川球児さんだそうです。すごいですよね!

公文克彦

公文克彦選手は、芸西小学校3年生の時から野球を始めました。その後、芸西中学校に進学しました。芸西中学校に進学後は軟式野球部に所属しました。中学生の時のポジションは主にファーストと外野手だったそうです。それは、物心がついた時から左利きで、投げるのも左だったためポジションが限られていたためだそうです。

 

その公文克彦選手はピッチャーを本格的に始めたのは中学生の終わり頃だったそうです。公文克彦選手は元々、肩が強かったようです。

公文克彦の高校時代は?甲子園の出場歴は?

中学校を卒業した公文克彦選手は、高知高等学校に進学しました。高知高校は数奥のプロを輩出していて春18回、夏13回の甲子園出場歴がある名門校ですね。そんな強豪校で公文克彦選手は高校1年生の秋からベンチ入りをしていました。

 

高校2年生の夏には、甲子園に出場を果たしました。強豪校である広陵高等学校相手に公文克彦選手は、5点ビハインドの6回表の場面で登板し、球速140キロをマークしています。一時は同点になるも8回表に勝ち越しを許してしまい、負け投手となり初戦で敗退してしまいました。

 

高校2年生の秋からは、エースとしてチームを引っ張りました。

 

高校3年生の夏に出場した甲子園では史上初の2日連続雨によるノーゲームを経て、高知高等学校は30年ぶりとなる夏の甲子園1勝を記録しています。2回戦で常葉橘打線に打ち込まれてしまい敗退しています。

 

公文克彦選手は、最速144キロをマークしたことでプロからも注目はされましたが社会人入りを選びました。

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高校を卒業した公文克彦のその後は?

高校を卒業した公文克彦選手は、大阪ガスに入団し社会人2年目から公式戦にも出場しています。3年目になるとパナソニックの補強選手として都市対抗野球に出場しました。中継ぎでは結果を残すことができましたが、先発で結果を残すことはできませんでした。

 

その年のドラフト会議にて、ジャイアンツから4巡目で指名を受けました。

 

プロ1年目は、ジャイアンツの優勝が決まった後に初めて1軍に昇格しヤクルトスワローズ相手に初登板を果たしました。2年目、3年目と2軍での生活が続きました。3年目に12試合で登板機会を得るも左肩を負傷し、登録を抹消されました。

 

その年のシーズンオフに大田泰示選手と共に日本ハムファイターズへ2対2のトレードで移籍することとなります。このトレードは今振り返ると、大田泰示選手も公文克彦にとっても活躍の場が増える良いトレードになりましたよね!ちなみに、ジャイアンへは石川慎吾選手と吉川光夫選手が移籍しました。

 

その後は、前述の通りに着々と登板機会を増やして負けない男の記録を伸ばしています。

まとめ

この先、公文克彦選手がどこまで記録を伸ばしていくのか登板するのが楽しみになりそうです!今後は、中継ぎとしても試合の重要な場面での登板がますます増えていくことが予測されますね。

兄貴分ともいえる宮西尚生選手と一緒に日本ハムを引っ張っていってほしいですね^^



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