玉井大翔は中学、高校時代はどんな選手だった?甲子園の出場歴は?

玉井大翔




プロ野球も春季キャンプが始まり1週間が経ちました。そろそろ、練習試合が始まった球団もある頃でしょうか。

 

昨季2019年、3年目で中継ぎチームトップの65試合に登板した投手が玉井大翔投手です。3年目はプロ野球選手としての生活にも慣れがでて、なおかつ結果を出していきたい時期。

 

その3年目できちんと結果を残し、どんな場面でも対応できる中継ぎへと成長しています。契約更改でも今季の年俸は昨季の倍以上となる金額で契約更改し、その成績は評価されました。

 

玉井大翔選手自身も、その後の会見では笑顔だったそうです。きちんと活躍を評価してもらえるのは嬉しいですよね。きっと、この嬉しさが今季の活躍にも繋がるのではないでしょうか。

 

さて、その玉井大翔選手とは、いったいどんな選手なのでしょうか。さっそく調べてみたいと思います。

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玉井大翔は中学時代どんな選手だった?

まずは、玉井大翔選手のプロフィールからチェックしてみましょう。

 

玉井大翔選手は、北海道常呂郡佐呂間町の出身で1992年6月16日生まれの27歳です。家族は、両親と姉、兄がおり玉井大翔選手は3兄弟の末っ子として育ちました。

 

この兄弟には、みんな“翔”という字が名前に入っているそうです。お姉さんは悠翔さん、お兄さんは翔平さん、玉井選手が大翔ということです。

玉井大翔

玉井大翔選手は、佐呂間町立佐呂間小学校の1年生の時に父と兄の影響で野球を始めました。地元の少年野球チーム佐呂間ライオンズに入団しました。このチームの監督は玉井大翔選手の父親でした。この頃から、玉井大翔選手の中で野球選手になりたいという夢を思い描くようになったそうです。

 

中学校は佐呂間町立佐呂間中学校に進学しました。中学校では学校の軟式野球部で野球を続けていたそうです。中学時代についてはあまり情報がないようなのでそこまで目立った成績などは残していなかったのかもしれませんね。

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玉井大翔の高校時代は?甲子園の出場歴は?

中学校を卒業した玉井大翔選手は、佐呂間町を離れて旭川実業高校に進学しました。この旭川実業高校は明るい雰囲気の魅力的なチームと言われていて、芸人の「とにかく明るい安村」さんがこの野球部のOBにいます。とにかく明るい安村さんは99年夏の甲子園のベンチだったそうですよ。

 

玉井大翔選手はこうした甲子園出場の名門の高校であるにも関わらず、高校1年生の秋からベンチ入りしています。

 

高校3年生となった2010年の夏、旭川実業高校は北北海道大会を勝ち抜いて甲子園の出場を果たします。しかし、強豪校であったがために玉井大翔選手は投手陣の中では3番手のピッチャーでした。

 

そのため、甲子園での登板機会に恵まれず、チームも初戦で敗退しています。悔しかっただろうな~。

 

玉井大翔選手はこの経験を通して、夢を諦めずに追い続けた結果がプロ野球に入ることにつながったと話しています。努力は必ず報われるという言葉は玉井大翔選手のためにある言葉なのでは?と思っていしまいますね!

高校を卒業した玉井大翔のその後は?

高校を卒業した玉井大翔選手は、消防士になるか迷っていたそうですがプロ野球選手になりたいという夢があった玉井大翔選手は、東京農大オホーツクへと進学しました。

 

大学へ進学すると大学1年生の春から出場し、道六大学野球では1年生投手としては初、史上7人目となるノーヒットノーランで勝利という成績を収めています。チームの優勝に貢献したことが評価され、1年生の時から最優秀選手とベストナインにも選ばれています。

 

その後も、活躍が続き3回のMVPを獲得しています。これだけの成績を残している玉井大翔選手。プロが注目しないはずがありません。しかし、玉井大翔選手はプロ志望届を大学卒業時に提出しませんでした。

 

大学卒業すると、新日鐵住金かずさマジックに入社しました。社会人野球1年目から主にリリーフとして登板し、日本選手権大会にも出場しました。2年目になると、主に先発を任されるようになり都市対抗野球にも出場しています。

 

そして、2年目を終えようとした時、ドラフトにて日本ハムファイターズから8位にて指名を受け。幼い頃から願い続けてきた、プロ野球選手になるという夢を叶えたのです。

まとめ

プロ入り後も着々と実績を積み上げている玉井大翔選手。3年目で初めてシーズンを通して1軍で投げきった経験を活かして、チームの優勝に貢献してほしいですね。



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