2019年福岡ソフトバンクホークスが育成1位で指名したのが石塚綜一郎選手です。石塚綜一郎選手のポジションはキャッチャー。ホークスの育成出身のキャッチャーといえば、今や日本1のキャッチャーとも言える甲斐拓也選手です。これは、期待が高まります。
もちろん、指名挨拶を受けた石塚綜一郎選手は「育成から支配下になって、活躍されている甲斐選手を目標にしたい。」と話しています。自主トレとか一緒にやって色々と教えてもらうのも良さそうですよね!
育成選手は3年以内に結果を残し、支配下契約を勝ち取らなければならない厳しい世界でもあります。しかし、育成力の高いホークスであればスピード出世も夢じゃないかもしれません。例えば、ポジションは違いますが、周東佑京選手は今年、支配下枠を勝ち取り、そのままプレミア12の侍ジャパンメンバーにも選ばれて大活躍です!
この育成枠の選手の活躍の流れの波に石塚綜一郎選手にも乗って欲しいですよね。そんな、石塚綜一郎選手とはいったいどんな選手なのでしょうか?早速調べてみたいと思います!
石塚綜一郎は小学校・中学時代どんな選手だった?
まずは、石塚綜一郎選手のプロフィールからチェックしてみましょう。石塚綜一郎選手は、2001年6月7日生まれで18歳です。出身は秋田県秋田市です。秋田県はたくさんのプロ野球選手を輩出していますよね。落合博満さんとか山田久志さんとか秋田ですし、現役だと同じソフトバンクの摂津正選手も秋田ですね^^
野球を始めたのは、秋田市立岩見三内小学校3年生の時です。岩見三内スポーツ少年団に所属しました。中学校は秋田市立岩見三内中学校に進学しました。そこで、秋田南リトルシニアに所属。
高校時代の監督である石橋監督が中学校時代の石塚綜一郎選手のことを「よく飛ばしていた。ホームランもでかいのを打っていた。」と話しています。この頃から、強打者であることがうかがえますよね。
驚きなのはこのあとに監督は、成績優秀で性格もいい優等生と石塚綜一郎選手の人柄がみえてくるコメントをしています。野球だけでなく文武両道できる努力家さんですね。

石塚綜一郎選手の高校時代は?甲子園の出場歴は?
中学校を卒業するにあたって、石塚綜一郎選手には県外の強豪校に進学希望があったそう。しかし、石塚綜一郎選手は母子家庭。母親に負担をかけられないという想いがあったようです。
県外に進学すれば、学費、生活費、遠征費と出費がかさみます・・・そこで、私立の高校ではなく公立校でという選択をしたそうです。母親思いの石塚綜一郎選手に涙が出そうなエピソードです。
母子家庭といえば、石塚綜一郎選手の目標である甲斐選手も母子家庭で、甲斐選手の母親はタクシーの運転手として家族を養ってきたのは有名な話です。石塚綜一郎選手と甲斐選手の家庭環境まで同じとは驚きです。
そこで、進路先に選んだのが中学校時代にも会った石橋監督が赴任した岩手県の黒沢尻工業高等学校です。寮生活でしたが、秋田県の学校との練習試合は自宅から通い、冬場には他の部員と遠征費を稼ぐために宅配業者のバイトもしていたそう。
高校1年生の春からベンチ入りし、夏の岩手県大会では3番サードで出場。ここで、あれ?キャッチャーじゃないと思われた方も多いはず。なんと、石塚綜一郎選手がキャッチャーを始めたのは高校2年生の秋なのです!
ということは、まだ一年ちょっとしかキャッチャーとしてはやっていないのにキャッチャーでの指名。プロで指導を受ければ、ここからの伸びしろが凄そう!高校2年生の夏の大会では投手としても4番手で登板しています。もう、どこまで器用な選手なのか!と脱帽です。
甲子園の出場こそなかったものの、高校通算39本塁打を記録。キャッチャーとしても二塁への送球が1秒88。この1秒88はプロに劣らない値なのです。
2018年時点でのNPBの平均は1秒95であるようなので上回っているのです。打ってよし!守ってよし!の石塚綜一郎選手。これからが楽しみになります。
まとめ
ここまで石塚綜一郎選手について調べてみました。育成枠での入団ということで非常に厳しい道が待っています。しかし、調べてみると親孝行のためにも絶対に支配下枠を掴み取って活躍してほしいと応援したくなる選手。活躍して、東北で1軍として遠征して母親へその勇姿を見せてあげてほしいです。
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